Bousou - Honey.
幸せな昼下がり
師が何か言おうとしているような気がして振り返ったのだが、全然そんなことはなかった。
確かに師の口は開いていたのだが、それは何かを言うためではなく、
手元にあったドライフルーツを口に運ぶためで。
急に弟子が振り返ったことに驚いたのだろう、その手も空中に止まってぽかんとした顔をしている。
碧眼が黒い瞳を映すのを見た。
数秒。
瞬きで、時間は動き出す。
見開かれていた碧眼が、まるで何かを合点したようにゆるめられた。
ふんわりと笑みの形を描く口元。
おいでと言うかのように、手が動く。
師の元へ歩み寄ると、彼は笑顔のまま弟子を見上げた。
(彼の背が弟子より低いためではなく、彼が椅子に座っており弟子は立っているからである。)
弟子の目の前に、師は手を掲げる。
伸ばされた親指と人差し指。残りの3本は握られたままだ。
伸ばされた2本の形の良い指先の間には、何かが摘まれている。
砂糖漬けのドライフルーツ。
「あーん」
美しい声で、そんなことを言う。
…この人は、と、ドライフルーツを見つめながら弟子は思う。
もし自分が今、このフルーツを差し出す指ごと咥えたら、優しく微笑むこの人は、一体どんな表情をするのだろう?
甘美な妄想を、しかし実行するだけの勇気はなく。
指先から口で、フルーツだけを受け取る。
咀嚼、舌に広がる甘ったるい味。
「美味しいかい」
「はい、美味しいです」
「それは良かった」
師が指先に残った砂糖の粒を行儀悪く舐め取るのを見て、少しだけ、
ほんの少しだけ、先程の妄想を行動に移さなかったことを後悔する。
「綺礼は、ドライフルーツが好きだったんだね」
違います。
全くの勘違いです。
とは口に出さない。
「ふふ」
嬉しそうに笑う、彼の姿を見られるのなら。
「私も、好きだよ」
このぬるくも幸せな時間を、いつまでも続けるためなら。
「綺礼」